身体が小さく喘息だった私を心配していた母は、ある日、側転で道端を横断していく子どもたちを見て
「これやっ!」と思い、7歳の私を体操教室に入れました。
それから20年以上が経った今、私は元気な体を手に入れたのはもちろん、
オリンピックで金メダルを取る事も出来ました。
そんな人生の中で、 色々な経験を通して沢山の人に出会い、その度に人間の可能性に驚かされてきました。
「出来ない」「無理だ」と本気で思っていたことも出来るようになる!
それは決して才能ではありません。最後まで出来ると信じ諦めない心です。
考えてみると、行動する前に自分で無理だと決めつけて、諦める方は多いのではないでしょうか。
夢を実現していく人は才能のある人ではなく、「出来る!」と信じて最後まで諦めない人です。
子どもたちには体操を通じて、
・体を動かすことの楽しさ
・何事にも前向きにチャレンジすることの素晴らしさ
・「できない」や「失敗」も大事だということ
・「自分はどうしたいのか」「自分はどう思っているのか」を考えることの大切さ
を伝えていきたいと思っています。
その中で、たくさんの「出来た!」を経験してもらい、『やれば出来るんだ』と
自分を信じる心を育てていきたいと思っています。
子どもたちには自分の可能性を信じ、大きな夢に向かって頑張って欲しいと願っています。
会社の名前には、私が体操を始めるきっかけになった「側転」、 英語表記で「CARTWHEEL」とさせていただきました。
今後、子どもたちのきっかけになれるような笑顔あふれる体操教室の運営、そしてどんな子どもたちも体操が好きになれるような楽しくて可愛いオリジナルの体操グッズの開発・デザインをしていきたいと思っています。
体操を通じて社会に貢献していけるような企業を目指しています。
宜しくお願い致します。
7歳から体操を始め、全国中学生大会で個人総合優勝。清風高校時代にインターハイで個人総合2位。順天堂大学に進み、1997年の全日本学生選手権個人総合2位、1998年のNHK杯で個人総合優勝。1999年には全日本学生選手権個人総合優勝、全日本選手権の鉄棒で優勝を果たす。
シドニーオリンピックでは、まさかの代表落選。その雪辱を晴らし、2004年のアテネオリンピックでは日本男子体操のキャプテンとしてチームを牽引。団体で28年ぶりとなる金メダルを獲得。種目別の鉄棒でも素晴らしい演技を見せ、銅メダルを獲得。アテネオリンピック後の度重なる手術を乗り越えた2008年NHK杯での演技は、観る者に感動を与えた。
惜しくも北京オリンピック代表の座を逃したが、 金メダリストとしての経験をもとに、2009年からメンタルトレーナーとしての活動をスタート。そして、自身の体操クラブである米田功体操クラブを2012年横浜に設立。
また、同年に自身初の著書となる「見えない壁を壊す(光文社)」を出版。また、解説者としても活躍し、世界体操や全日本選手権などの解説も行う。
2012年ロンドンオリンピック、2016年リオデジャネイロオリンピックでは公式の解説者として日本体操の活躍を解説。2013年1月からは、徳洲会体操クラブの監督として指導者としての道を歩んでいる。