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スタッフブログ

2019.10.29
『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』
こんにちは!有水愛佳です!
今回は『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』という本を読んでみました!



本を探している時、この本に目が止まりました。素直に「ふつうの子」ってどんな子なんだろう、と思ったからです。
ふつう、ふつう、、、と考えると、何がふつうで、何がふつうではないのかすぐに浮かびませんでした。しかし、よく「ふつうならわかるよね」、「ふつうはこうやってやる」など日常的に「ふつう」という言葉を聞いたり使ったりするなと思いました。このことが気になり読んでみることにしました。

この本の舞台は小学校です。小学校の初代校長が、この本の著者の木村さんです。現在は、校長を退職、講演会やセミナーで全国を回っているそうです。


ここからは、この本を読んで、私の中にあった「ふつう」だと思っていた考えが変わった部分を紹介していきたいと思います。


○「発達障害」というレッテル

本には世間的に言われている「発達障害」を持っている子どものことが書かれています。
『例えば「ダウン症の子」とまとめていってしまうでしょ。見た目などに共通するものがあるかもしれない。でも、ダウン症のAちゃん、Bちゃん、Cちゃん、一人ひとりの個性はまったく違います。「自閉症」と診断された子がいても、まずその子がいて、診断名は後からついてきたものでしかありません。』と、書かれていました。

本の「診断名は後からついてきたものでしかありません。」の部分を読んだときに、確かにな、診断されなければ、その子の特徴であったり個性にもなり、発達障害ではない。と思えるのかもしれないと感じました。
私は発達障害を持っているから、「ふつうとは違う」、持ってなければ「ふつう」と思っていました。
この本を読んでから、発達障害を持っている子も持っていない子も、両者とも個性や特徴があり、後からついてきた診断名だけで発達障害を持っている、持ってないと分けるのは違うなと思い自分の考えが変わりました。


○遅刻や忘れ物をする子にも理由がある

学校には遅刻をする子も、忘れ物をする子も沢山いると思います。私が学校の先生で遅刻や忘れ物を頻繁にする子がいたら「なんでできないの?遅刻や忘れ物をしないのがふつうでしょ。」などと言って叱ってしまうかもしれませんが、本には、『毎日遅刻してくる、ある男の子がいました。その子は家庭の事情で誰も起こしてくれる人がいないから遅刻する。その子はね、お風呂もあんまり入れていない。そうしたらどうしても臭う。自分でもやっぱり気にしているんですよね。それなら、毎朝、学校に来て頭と顔と足を洗おう。「よし、俺、朝に洗うわ」と自分で決めた。そうしたら毎朝8時前に必ず学校にくるようになりました。「俺、みんなと約束したから、洗うわ」とか言って。それって「遅刻はしてはいけない」という規則を守るようになったわけではありませんよね。理由は一つ。彼に、毎朝早く学校にくる「目的」ができただけです。よくね、「大人になって、社会に出て遅刻したら困るから」なんて言うじゃないですか。でもいまは、遅刻して困るような仕事ばっかりでもない。フレックス制があったり、どんな企業に就職するかにもよるし、自分で起業したり、自分に合うように働ける時代になってきているでしょ。忘れ物だってそう。ダメなのは本人もわかっている。でも、なぜ忘れてしまうのかわからない。それは、そこに目的を見出せていないからです。目的もなく規則を守るのは、単に大人の言うことをきいているだけのこと。目的も意味もわからないままに、我慢する力を伸ばす、空気を読む力を伸ばす。それでは逆に、子どもが本来持っているはずの力を抑えることになります。
そうではなくて、ありのままの自分を表現する。ありのままの自分を高める。それが学びに結びつきます。』と書かれていました。

本に出てきた男の子が遅刻をしなくなった理由が、学校に早く行く目的(頭と顔と足を洗う)ができたこと。単純だけど、規則で決まってるから遅刻をしないようにと思うより、自ら進んで早く行こうと思える「目的」があるだけで、こんなに変わるんだな。と私は思いました。
ただ、「これをやりなさい」「規則だから守らないとダメ」と決めるのではなく、そこに「目的」をつけることが子どものやる気や行動などにもつながるのではないかと私は思いました。
始めの部分で、私が学校の先生で忘れ物や遅刻を頻繁にしていたら叱ると言いましたが、この部分を読んでからは、叱るのではなく「目的」を作ってあげることが大切なんだと気付きました。


この本を読んで、「ふつう」とは、「自分の中にある当たり前」のようなものかな、と私は思いました。
自分の中にある当たり前を「ふつう」として相手に伝え、個性も考え方も捉え方も違うのに「自分の中にあるの当たり前」を押し付けるのは間違っているなと感じました。
子どもにも個性や考えがあるので、授業の中でも、その子にあった伝えた方や接し方をしていきたいなと改めて思いました。

最後になりますが、この本の著者、木村泰子さんが小学校でやってきた取り組みを描いたドキュメンタリー映画「みんなの学校」が各地の自治会などで上映会が開催されています。
近くで開催されることがあったので、行って来ました!
映画を観て思ったことは、「すごい!」でした。先生や地域の方は子どもたちに寄り添い、子どもたちは先生に意見を言ったり…。先生、子ども、という区別はありますが、みんな(障害を持っていると診断された子も)が一人の人として対等な関係がありました。通っているみんなで色々な問題を考える。それを先生や地域の方が、支えていく。そんな仕組みができていました。
こんな学校がもっと増えたら、いじめや差別などなくなるのではないかと思った映画でした。
また、講演もあり、木村先生のお話も聞くことができました。
木村先生は明るくてパワフルで何事にもプラスの考えを持っている方でした。
講演で印象に残った言葉があります。それは「子どもに教わる」です。私は、校長先生だった先生が子どもに教わることなんてあるのかなと思いました。
『この「子どもに教わる」は勉強を教えてもらうではなく、困っている子に対して大人がどれだけ色々な事を考えても解決できないことを、子どもに聞いてみると大人が気づかなかった考えが出てきてすんなり解決することがある。子ども同士だから分かることもあるのかな』と木村先生は言っていました。
大人だから絶対ではなく、子どもの意見を聞いたりして、子どものことを一番に考えているのがすごく伝わり、印象に残っています。

私にとって、とても良い経験ができました。
機会があれば是非ご覧になってください。